Monday, December 28, 2009

Book Sommelier

本のソムリエってすごく素敵だ。
親として、大人として、本好きとして、この職業がもっと重要視されて欲しいと切に願う。

日本ではまだあまり普及してない、というか、そもそも日本の教育システムが本を読むことを軽視しすぎているところが発端なのだろうが、子供だって大人だって、いい本にタイミングよく出会えれば、それこそ人生だって左右される。

斉藤孝氏が彼の著書「読書力」の中で、大学時代素晴らしい本に出会うきっかけを作ってくれた大学の恩師に感謝するという文面が出ていた。また、お題となる本を各自読んで来てクラスでディスカッションするという、基本的な読書力をつけるための授業が一般的に行われていたという。同じようなことが外国の大学では今もあたまりえに行われている。学力低下が騒がれる今、日本の大学はどうなんだろう。

本を読まなくても公式を暗記できれば大学を卒業できるご時世。せっかく世界を知る機会の増えた日本は教育の根本を見直す時なんじゃないだろうか。

Wednesday, December 23, 2009

Cocco's

Coccoの曲で一番好きなうた。
ウナイ。
久しぶりに聴いた。
やっぱり好きだ。

Saturday, December 19, 2009

And then...

高尾山のお話の続き。
大ちゃんと行った時は半分マラソン状態(笑)90分くらいで着いたのに
立ち止まっては秋の空を眺め、切り株に座っては一息ついてた今回は
たっぷり二倍はかかったと思う。
やっとインドから帰ってきたかんたと一か月分の間を間で埋めるように。

頂上で素敵な老夫婦を見かけた。
お弁当と水筒を携えて、ゆっくり登ってきたんだろう。
「こんな日も、いいですね」

電車にも乗れない私が、かんたと一緒だと高尾山に登れるのだから。
目に見えない力ってのは想像以上に
私達の日常に、常識に、隣り合わせなんだろう。

Wednesday, December 16, 2009

A 3-star Michelin mountain



暖冬の恩恵を受けた暖かい晩秋のある日、

念願だった秋の高尾山に登ってきた。


世界中が何かのお祝いをしてるかのように

少し霞んだ山ごと

それはそれは綺麗に色づいていた。


枯葉が敷き詰められた山道、名も知らぬ実、ひんやり湿った山の空気に差し込む暖かい陽。

体力が落ちてかなり苦しかったけど、このいつもよりちょっと長めの散歩がずっと終わらなければいいと思った。

Dilemma

なにが辛いって

会いたい人がいるのに

会えないこと。

Friday, December 11, 2009

Awereness

池上彰氏を知ったのはつい先日のこと。色んな素晴らしいところを差し置いて、彼の何がすごいって「日本人は捨てたモンじゃない」「日本って誇れるでしょう!」という一貫した姿勢なんじゃないかと思う。

特に世界を見てきた人にとって、「日本はすごい!」と言うことはそう簡単ではない。逆に言えば、池上氏が言う「日本も捨てたモンじゃない」の言葉の裏には、日本はクラップだという前提が示唆されている。それを十分に理解した上で、日本はすごい、と言い聞かせるように繰り返す彼は、愛国心と現実とのジレンマを超えて、心から一人の人間として日本を良くしようと思っていることを感じさせる。彼を見て、私も少し考えを変えた。批判をするのは簡単だけど、それをよくしようと行動にでることの大変さ。

日本の政界も日本の教育システムも日本人の超ネガティブ思考もクラップだし大嫌いだけど、だから海外にさっさと逃亡しようと思ってたけど、そうじゃないのかもしれないと反省した。どこにも完璧な世界などないのも事実だし、実際この何十年の間に変わらないと思われてたことが変わりつつある。アメリカで黒人の大統領が出たのだ。ほんの50年前までは、同じ学校にも行けなかった人種がそのトップに立つ程、世の中は変わってきている。必要なのは、意識改革だ。

Tuesday, December 8, 2009


今日も雲ひとつ無い冬晴れ。午前中は、二階の日当たりのいい場所で、無駄に幅をきかせているブルブルダイエットマシーン(50万くらいする代物らしいが、一度も使われてるのを見たことが無い)を横目に村上春樹、河合隼雄に会いにいく という対談を読んだ。村上春樹の世界も独特だが、それに対応してる河合隼雄、二人の対話は理解し得ない部分も多かったものの、物を深く考える事についてちょっと考えることになった。

そして、何よりもそそられたのが、実は私の完全な妄想だったことは先に言っておきたい。
両者とも興味のある方で、その二人の対談というだけでも十分に魅力的なのだが、今回彼らの対談した場所が京都であったという。想像していただきたい。京都の老舗旅館の料亭で、和服を着た両者が京料理とお酒を嗜みながら、和やかに、渋く、緩く、気を許しつつも気品のある温度で向かい合う。そこで紡がれる思想。Saint-Germanのカフェで実存主義に対する意見を戦わせたというサルトルやヴォ-ヴォワ-ルの話を聞いた時と似たような崇高さを感じさせた。

いつか、京都の料亭で誰かと対談したいのものである。まあ、おしゃべり京都旅行、と言った方が早いのかもしれない。

Wednesday, December 2, 2009



かんたが弟から借りたという夢をかなえるゾウを読む機会があった。さらっと流し読むといいよ、とのコメントを受けながら読み始める。啓発系の本はあまり読まないのだが、関西弁のゾウが”めっちゃ”おもしろくて読みきってしまった。

本そのものも、私くらいの凡人にもわかりやすく書いてあり手軽に読めるので、今売れてる理由がわかる気もしたけど、その後、夕方の河原を歩きながらかんたと話したことの方がより頭に残っているような気がする。

結局、松下の幸ちゃんや、本田の宗ちゃんの様な人達ってのは、根本的に考え方が違う。全ての物事に対する捕らえ方が違う。だからその他と差がつく。本の中でも繰り返されてるが、よく聞く格言の様なもの(cliché)は、世の中に溢れている。ただ、その言葉の本質を理解してる人はすごく少ない。

かんたは言う。幸ちゃんや宗ちゃんは、そういう言葉を理解してるとかいうレベルじゃなく、そういったものを自分の中で生み出すことができるレベルだと。例えば、昔かんたがアイルランドに居た頃に、彼は色んなことを考えたらしい。そしてある時、ヨーロッパの哲学者の本を読んだら、同じ理論(と言っても、私には全然理解できないくらい、長くて深い考察の末)に行き着いた昔の哲学者がいることを知ったんだとか。ちなみに私なんかは、素敵な言葉を発見すると、ふむふむ、とか言って、素敵な言葉だわ、とか言って、わかった気になってるし、たぶん世の中の大半の人はそうなんじゃないかと思う。でも、”わかってるつもり”ほど怖いことはない。そうやって、みんな幸ちゃんや宗ちゃんになり損なってる。

話は反れたが、彼はさらに続ける。あーいった本は、幸ちゃんや宗ちゃんの様な人が、社員に分からせる為に読む本だと。彼らは、どう育ったのか、しっかりした考え方が備わっていて、それを軸にずっと生きてきた人だから、逆にわからない人にどうやったら解り易く教えられるかを学ぶ為に、啓発系の本を読むんだそうだ。もうその時点で、なんか根本的にある差を見せ付けられてるような気もする。

私が言いたいのは、根本的に違うから、彼らの様な人間にはなれないということでは全然ない。変わろうと思ったら、もう根こそぎ感覚を、一度変えてみないとだめなんだろう、ということである。