本そのものも、私くらいの凡人にもわかりやすく書いてあり手軽に読めるので、今売れてる理由がわかる気もしたけど、その後、夕方の河原を歩きながらかんたと話したことの方がより頭に残っているような気がする。
結局、松下の幸ちゃんや、本田の宗ちゃんの様な人達ってのは、根本的に考え方が違う。全ての物事に対する捕らえ方が違う。だからその他と差がつく。本の中でも繰り返されてるが、よく聞く格言の様なもの(cliché)は、世の中に溢れている。ただ、その言葉の本質を理解してる人はすごく少ない。
かんたは言う。幸ちゃんや宗ちゃんは、そういう言葉を理解してるとかいうレベルじゃなく、そういったものを自分の中で生み出すことができるレベルだと。例えば、昔かんたがアイルランドに居た頃に、彼は色んなことを考えたらしい。そしてある時、ヨーロッパの哲学者の本を読んだら、同じ理論(と言っても、私には全然理解できないくらい、長くて深い考察の末)に行き着いた昔の哲学者がいることを知ったんだとか。ちなみに私なんかは、素敵な言葉を発見すると、ふむふむ、とか言って、素敵な言葉だわ、とか言って、わかった気になってるし、たぶん世の中の大半の人はそうなんじゃないかと思う。でも、”わかってるつもり”ほど怖いことはない。そうやって、みんな幸ちゃんや宗ちゃんになり損なってる。
話は反れたが、彼はさらに続ける。あーいった本は、幸ちゃんや宗ちゃんの様な人が、社員に分からせる為に読む本だと。彼らは、どう育ったのか、しっかりした考え方が備わっていて、それを軸にずっと生きてきた人だから、逆にわからない人にどうやったら解り易く教えられるかを学ぶ為に、啓発系の本を読むんだそうだ。もうその時点で、なんか根本的にある差を見せ付けられてるような気もする。
私が言いたいのは、根本的に違うから、彼らの様な人間にはなれないということでは全然ない。変わろうと思ったら、もう根こそぎ感覚を、一度変えてみないとだめなんだろう、ということである。
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