辻仁成のニュートンの林檎を読んでいた。
悲惨な人生を記してるだけで、あまりおもしろくなかった。
下巻の途中までは。
昨日の小春日和な陽気と
霞んだ春風も後を押したのかもしれない。
なんかこう思想がふぁ~っと広がったような
おもしろい”現象”と呼べるような感覚があった。
90を超えた老人が人生を悟す言葉。
到底私になんか理解はできず
でも、それがすごく安心感になった。
人生の真髄なんて簡単な言葉で伝えられるようなことだったら
とっくにみんな知っているはず。
言葉や物は何かを簡単に表現・伝達するための手段としては
最高に便利な、文明化の成し得た技だった。
ただ、本来真実とかってのは幻想や思想であって
目に見えるもの・形に表わせるもの・簡単に伝わるもの、ではなかったはず。
それを目に見えるものとして形にした。
そしてそれは形や言葉としてのみ、つまり表面だけが一人歩きしてしまった。
真実なんてのは複雑に絡み合った
外側からのいくつもの視点や経験をもって
浮かび上がって表れるものなんじゃないか。
辛酸を嘗め続けた主人公の人生をもってしてのみ
わかることがあるのかもしれない。
簡単に手に入れたものには意味がない。
私たちは新Lost Generationと呼ばれる時代に生きてるのではないかと思う。物欲を満たした今、精神世界に何かを見出そうとみんな何かを追い求めている。
Work Life balanceと声高々に主張し
休日になれば田舎でリラックス、ヨガやオーガニックブームが起こる。
大量の思想書・啓蒙書・宗教本が売れる。
形あるもの、言葉や物という壁に邪魔されながら
それだけみんな「何か」を
人生の真髄を求めて盲目にがむしゃらにもがいている。
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